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福井県における合戦・戦い

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福井県における合戦や戦いについて、5つをピックアップし、ランキングしています。
 福井県と言えば、戦国時代、朝倉氏が支配していました。

 ただどうしても、織田・徳川・武田・上杉などのように著名でもなく、ゲーム『信長の野望』でも、朝倉義景の能力が低かったりし、人気がない感じがしています。

ちなみに、朝倉義景はこんな人↓



 それゆえか、福井県で起こった合戦について、あまり知られていないような気がしています。

 しかし当然ながら、福井県でも、合戦や戦さなどはありました。

 そこで、勝手に、福井県で起こった合戦・戦さのベスト5を挙げてみました。
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1位 金ヶ崎の戦い

 織田信長と言えば、戦国時代、非常に優れた武将とされていますが、幾度か、危機に陥っています(最たるもの本能寺の変で死んでしまいましたが)。

 その一つとして、「金ヶ崎の戦い」があると思います。
 織田信長が朝倉氏を攻めようとしたとき、浅井長政の裏切りで、挟み撃ちになることになり、窮地に陥った戦いです。羽柴秀吉などが殿(しんがり)を務め、何とか逃げ延びることができました。



時代戦国時代
年月日1570年(元亀元年)
場所越前国敦賀郡金ヶ崎
勢力○ 朝倉軍・浅井軍 vs × 織田軍・徳川軍



2位 一乗谷城の戦い

 金ヶ崎の戦いで織田信長は一度、越前攻めに失敗しましたが、その後、浅井長政を打倒し、北近江を領することになると、越前への道が開けました。
 そして、朝倉氏を攻め、最終的に、朝倉義景の拠点である一乗谷城で戦い、朝倉氏を打ち滅ぼしました。



時代戦国時代
年月日1573年9月(天正元年8月)
場所越前国一乗谷
勢力○ 織田軍 vs × 朝倉軍



3位 北ノ庄城の戦い

 織田信長が本能寺の変で亡くなると、織田家の家臣は分裂することになりました。そして、有力家臣であった羽柴秀吉と柴田勝家が戦うことになり、羽柴秀吉は柴田勝家が領地である越前に攻め上がり、北ノ庄城の戦いで柴田勝家は敗北しました。

 北ノ庄城跡は柴田神社となり、柴田勝家や浅井三姉妹の像があったりします。



時代安土桃山時代
年月日1583年(天正11年4月23日〜24日)
場所越前国北ノ庄城
勢力○ 羽柴軍 vs × 柴田軍



4位 藤島の戦い

 上記は、戦国時代の織田家やその家臣を中心とした争いですが、南北朝時代にも、福井県で重要な争いがありました。それは、藤島の戦いです。

 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が実権を握り、建武の新政を行いますが、武士の不満から、足利尊氏を中心とする北朝と後醍醐天皇を中心とする南朝に分裂していました。
 そして、南朝の有力な武将として、新田義貞がおり、越前を拠点としていました。そして、その新田義貞が足利軍と戦い、敗死したのがこの戦いです。
(どうしても、南朝の有力な武将が亡くなった戦いとして、楠木正成の湊川の戦のほうが有名な気がしますが…)

 新田義貞といえば、群馬県というイメージがありますが、この戦いで死んだため、坂井市の称念寺に、新田義貞の墓があります。



時代南北朝時代
年月日1338年8月17日(延元3年/暦応元年閏7月2日)
場所越前国藤島
勢力○ 足利軍 vs × 新田軍



5位 九頭竜川の戦い

 朝倉氏のすごい戦いとして、この九頭竜川の戦いがあります。

 戦国時代、加賀の一向一揆に見られるように、一向宗は武力勢力として、大きな力をもっていました。加賀を一つの拠点としていることから、当然に、周辺への侵攻をするようになり、度々、越前への攻めてきました。

 そして、その中でも大きな戦いが、の1506年の九頭竜川の戦いです。
 30万人とも言われる一向宗を相手に、総大将・朝倉宗滴のもと、8千人ほどの朝倉氏が戦い、夜襲により勝利を収めたというものです。

時代戦国時代
年月日1506年(永正3年8月5日)
場所越前国
勢力○ 朝倉軍 vs × 一向宗



まとめ

 私の勝手な印象で、あまり福井県はすごい戦いが少ない気がしていました。

 ただ改めて整理すると、「有名な武将などが争っていることが多いなぁ」と思いました。

 福井県は地方とはいえ、京都にも比較的に近く、有力な武将などが拠点とすることが多いことから、どうしても、その最終決戦の地が福井になるからでしょう。

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