戦国武将の中でも、人気の高い真田信繁(真田幸村)。
(関係ないのですが、いつも思うのは、この絵を見ると、勇猛な戦国武将らしくなく、残念な感じがしてしまいます)

彼が過ごした長野県・和歌山県・大阪府には、そのゆかりの建物や碑・像などが建っています。
この中で、私がお勧めしたいベスト5を掲載しています。
1位 真田幸村騎馬像
真田信繁の像は、いくつかありますが、最もかっこいいと思うのが、長野県上田市の上田駅前にある「真田幸村騎馬像」です。
上田の駅を降りるとすぐにあるので、「真田の町」に来たという印象を深めてくれます。

最も騎馬に乗っている姿が凛々しく、真田信繁ファンならば、一度は見ておいたほうがいいように思っています。
2位 上田城跡公園
2位は、父・真田昌幸とともに、上田合戦を戦った上田城を挙げたいと思います。
城址公園として、整備されており、1位の真田幸村騎馬像がある上田駅前から、歩いていくと、途中にも至るところに、真田十勇士などの真田信繁を意識したモニュメントなどがあります。

厳密には父・真田昌幸の居城で、真田信繁の城ではありませんが、城跡公園の中には、大坂夏の陣での赤備えの真田信繁を意識したようなものもあったりもします。

3位 真田幸村公銅像
真田信繁にゆかりのある神社「三光神社」にある銅像です。
近くの安井神社にも、真田信繁の銅像がありますが座っている銅像で、こちらの神社のものは、信繁が部下を鼓舞するかの如く、立っている姿のものになっています。

なお、この三光神社には、いろんなところにある抜け穴の1つがあります(「真田の抜け穴」)。
4位 心眼寺
心眼寺は、いわゆる「真田丸」跡に建っているお寺です。
この寺一帯に、真田丸があったとされています。この寺にも碑が建っており、近くにも「真田丸顕彰碑」があったりもします。ただ、碑があるだけで少し残念な感じです。

なお、この寺には、「真田左衛門佐豊臣信繁之墓」もあります。
5位 善名称院(真田庵)
5位は、和歌山県の善名称院(通称:真田庵)としました。
関ヶ原の戦いで、西軍が敗北し、真田昌幸・信繁親子が九度山に蟄居となりましたが、その蟄居していたところとされるのが、この真田庵です。

行くと分かりますが、和歌山の山の中にあり、現在でも九度山は小さな町ですが、江戸時代初期の当時のことを考えると、秘境といった感じだったのではないかと思ったりもします。
ただ、近くには、本当かどうかは別として、「真田古墳(真田の抜け穴伝説)」というものもあります。
まとめ
人気のある真田信繁なので、ゆかりの地と言っても、人それぞれだと思います。
ですので、真田信繁ファンの1人の意見として、参考にしてもらえればと思います。
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