橋本左内は、幕末の思想家で、将軍継嗣問題で一橋慶喜擁立に尽力しましたが、安政の大獄で処罰された人物です。
橋本左内の人生を年表にすると、こんな感じ。
年 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1834年(天保5年) | 1歳 | 越前国常磐町で生誕 |
1849年(嘉永2年) | 16歳 | 大坂の適塾で学ぶ |
1852年(嘉永4年) | 19歳 | 父の死去で帰藩し、藩医となる |
1854年(嘉永7年) | 21歳 | 江戸に遊学 |
1855年(安政2年) | 22歳 | 福井藩主・松平春嶽の側近となる |
1857年(安政3年) | 24歳 | 将軍継嗣問題で、藩主を補佐し、一橋慶喜擁立運動を展開する |
1858年(安政5年) | 25歳 | 安政の大獄で捕えれる |
1859年(安政6年) | 26歳 | 伝馬町牢屋敷で斬首 |
この橋本左内ゆかりの地について、紹介します。
橋本左内のゆかりの地めぐりの参考になればと思います。
1位 左内公園
まず挙げたいのが、この左内公園です。
「左内町」という住所が示す通り、橋本左内にゆかりがある地であることが分かるのですが、橋本左内にちなんだ公園があります。
とはいえ、下の写真のように、住宅地にある普通の公園です。

ただ注目したいのは、橋本左内の全身像があることです!
たぶん、全国で橋本左内の像があるのはここだけだと思います。その意味で、非常に貴重であり、第1位としました。

逆に言えば、橋本左内について知らなければ、「何でこんな普通の公園に銅像が建ってるんだ?」「誰だこれ?」って感じです。
2位 善慶寺
善慶寺は、橋本左内の菩提寺です。

これも大したことがない普通のお寺でどうしても見落とししまいそうですが、1位の左内公園のすぐ横にあります。
ですので、橋本左内めぐりを行うには、忘れずにといった感じです。
3位 橋本左内宅跡の碑
1位・2位の左内公園や善慶寺から、少し行ったところですが、同じ福井市内に「橋本左内宅跡の碑」が建っています。
建物自体は何も残っていないのですが、地域の偉人らしく、ちっちゃな公園となっています。

ここは、碑の名の通り、橋本左内の家の跡なのですが、橋本左内の生誕地でもあります。
なので、産湯を汲んだ井戸なんかもあります。
4位 適塾
福井以外で挙げるとすれば、初めて福井を離れ、若き橋本左内が学んだ適塾を上げたいと思います。
大阪・北浜の町中に急に古い建物があり、それが適塾となっています。

歴史的な場所なのですが、横には下のような公園があり、子供連れの主婦などがのんびりと子供たちを遊ばせたりもしています。

そして中には、適塾を開いた緒方洪庵の銅像があったりもします。
(そこで遊んでいる子供たちからしたら、よく分からん爺さんの銅像といった感じなのでしょうが)

5位 橋本左内寓居跡
幕末の思想家・志士であるので、いろんなところにその足跡があります。
4位に大阪の適塾を挙げましたが、京都にも「橋本左内寓居跡」ということで、碑・看板が建っています。
なお、私が行ったときには、工事中で下のようなそっけない感じになっていましたが。

まとめ
橋本左内と言えば、安政の大獄で処罰された悲劇の思想家といった印象ですが、特に福井市では地域の偉人として、その痕跡がいくつか残っています。
特に、1位の橋本左内像は、たぶん全国唯一の銅像で、立派な像となっているので、非常にお勧めです。
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