本多忠勝(本多平八郎)は、徳川家康の天下取りに貢献した「徳川四天王」の1人です。
(他の3人は、酒井忠次、榊原康政、井伊直政です)
徳川家の家臣の中でも、徳川家随一の猛将としても知られています。
例えば、姉川の戦いでは、朝倉軍1万に対して単騎で向かうなどといった逸話も残っています。
ざっくりとした年表は次の通りです。
年 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1548年(天文17年) | 1歳 | 生誕 |
1560年(永禄3年) | 13歳 | 初陣 |
1570年(元亀元年) | 23歳 | 姉川の戦いで単騎駆け |
1572年(元亀3年) | 25歳 | 三方ヶ原の戦い |
1575年(天正3年) | 28歳 | 長篠の戦い |
1582年(天正10年) | 35歳 | 本能寺の変後の伊賀越え |
1584年(天正12年) | 37歳 | 小牧・長久手の戦い |
1590年(天正18年) | 43歳 | 上総国夷隅郡大多喜を所領 |
1600年(慶長5年) | 53歳 | 関ヶ原の戦い |
1601年(慶長6年) | 54歳 | 伊勢国桑名に移る |
1609年(慶長14年) | 62歳 | 隠居 |
1610年(慶長15年) | 63歳 | 桑名で死去 |
この本多忠勝にゆかりのある地、ベスト5を上げたいと思います。
1位 徳川四天王像 家康に過ぎたるもの本多忠勝像
まず挙げたいのが、本多忠勝が生まれた地・愛知県岡崎にある本多忠勝像です。
大きな通りの中央緑地帯の一角に像はあります。

他にも銅像はありますが、最もかっこいい(?)、勇猛で槍をもった白色の騎馬像になっています。
本多忠勝の特徴の1つである鹿の角をあしらった「鹿角脇立兜」も見事に再現されています。
なお、近くには他の四天王の銅像(酒井忠次、榊原康政、井伊直政)があります(ちょっと歩きますが…)。
2位 本多忠勝誕生地
歴史上の人物を考えるにあたって、誕生したところは重要だと思います。
そこで、次にあげたいのが、同じ愛知県岡崎市にある本多忠勝誕生地です。

ただこのように、碑が建っているだけで、若干寂しい感じがあります。
また、下の写真のように、住宅街の家の間に、ひっそり碑がある状態です。
ただ私としては、行ったとき、何だか宝探しをしたような気分になったので、2位に挙げてみました。

3位 本多平八郎忠勝公像
3位は、岡崎公園(岡崎城址)にある本多忠勝の座像です。
公園の駐車場から大手門をくぐり、広場のようなところの一角に像はあります。
公園には、徳川家康の像などがいくつもありますが、たぶん、駐車場から行くと、まず発見できる像が、この「本多平八郎忠勝公像」です。
ただ、座っている像のせいか、木があるせいか、つい見落としてしまいそうな感じもあります。
槍の名手であることから、この像でも、座っているにも関わらず、槍を持っています(槍はたぶん、本多忠勝が愛用した「蜻蛉切」だと思います)。

なお、岡崎城は徳川家康が生まれた城であり、徳川家康の銅像がいくつもあるなど、徳川家康のゆかりの地にもなっています。
(謎なのは、「しかみ像」まであったりもします。しかみ像は、徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れたときのものですが、浜松でのものです)
4位 本多忠勝像
岡崎が続いたので、本多忠勝の没地である愛知県桑名から1つ。
九華公園(桑名城址)の駐車場横にある本多忠勝の銅像です。
公園の駐車場(柿安コミュニティパーク駐車場)に向かうと、
「何か銅像があるぞ!」
という感じで、この本多忠勝の銅像が見えてきます。
これも、岡崎城にある銅像と同じように、座っている像になっています(ここでも、しっかりと槍をもっています)。

5位 本多忠勝屋敷推定地
愛知県岡崎市は本多忠勝の誕生した地で、三重県桑名市は本多忠勝の没地なので、それ以外の意外なところから1つ。
静岡県浜松市には、本多忠勝の屋敷跡の碑が建っています。
確かに、徳川家康は浜松城を拠点としたこともあるため、その家臣である本多忠勝が住んでいてもおかしくはないのですが、単なる碑とはいえ、しっかりと歴史的な痕跡が残されているというものは、驚きです。

まとめ
本多忠勝のゆかりの地と言えば、
・愛知県岡崎市(誕生地)
・千葉県大多喜町(大多喜藩主)
・三重県桑名市(桑名藩主)
の3つのエリアが中心です(千葉県の大多喜町のものは、ランキングには入れてませんが…)
ただこの他にも、5位の静岡県浜松市や岐阜県の関ヶ原の戦いの陣跡などがあります。
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