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福島正則のゆかりの地

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豊臣秀吉の子飼いの武将で、「賤ヶ岳の七本槍」の1人として知られる福島正則について、そのゆかりの地を挙げたいと思います。
 豊臣秀吉の家臣として、どのような人物を思い起こすでしょうか。

  石田三成?
  加藤清正?

 少し戦国時代の歴史に詳しい方ならば、その1人として、福島正則を思い起こすでしょう。



 福島正則は、小姓として、豊臣秀吉に仕え、数々の武功を挙げました。特に、豊臣秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いで活躍。「賤ヶ岳の七本槍」の1人とされる人物です。

 豊臣秀吉の死後は、外様大名として、広島藩の初代藩主となりました。

名前福島正則(ふくしままさのり)
生没年永禄4年(1561年)~寛永元年7月13日(1624年8月26日)


 この福島正則のゆかりの地について、ベスト5を挙げたいと思います。
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1位 福島正則像

 私が知る限りですが、福島正則の銅像は、名古屋市にあるこの一体だけだと思います。
 (他にもあったら、教えてください。)

 名古屋の町中を南北に流れる堀川の沿いに、銅像は建っています。ある意味、都会の普通の川に急に銅像があるので、ちょっとした違和感があります(あくまでも私の感想ですが)。




 〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄1丁目1

2位 福島正則生誕の地

 福島正則の生誕地には、碑が建っています。
 草が茂っており、気づかないかもしれないので、要注意です(私はちょっとあたりをウロウロしました)。




 〒490-1207 愛知県あま市二ツ寺屋敷172


 また、このすぐ近くに、菊泉院というお寺があり、福島正則の菩提寺になっています。



3位 賤ヶ岳古戦場

 福島正則といえば、「賤ヶ岳の七本槍」の1人。福島正則だけが関係しているわけではありませんが、やはり福島正則ゆかりのものとして、賤ヶ岳の戦いを挙げておかなければならないと思います。



 現在は、「賤ヶ岳古戦場」という名で、ちょっとした観光地になっています。
 ただ、山の上にあり、下にある駐車場から、山登りをするか、リフトで上がっていくしかありません。

 思えば、「岳」という文字が入っているので、山での戦いであることが分かるのですが、正直、賤ヶ岳の戦いは、こんなところで戦いをしたのかと、驚きです。




 〒529-0523 滋賀県長浜市余呉町川並

4位 福島正則陣跡

 福島正則が大きな武功を挙げたものとして、関ヶ原の戦いがあります。

 同じ豊臣秀吉の家臣でしたが、武断派として、石田三成に対立したため、関ヶ原の戦いでは東軍の徳川家康につきました。そして、岐阜県の関ケ原町には、関ヶ原の戦いに関する碑などが多くありますが、その1つとして、福島正則陣跡があります。

 正直、単に看板が建っているだけなので、何のことはありませんが、他の武将の陣跡があったりもするので、お勧めです。商業施設などはないのですが、至る所に、関ヶ原の戦い関係の案内があるので、ちょっとした「関ヶ原の戦いテーマパーク」に行ったように気になりました。




 〒503-1541 岐阜県不破郡関ケ原町松尾111

5位 福島正則屋敷跡

 5つ目は、ちょっと迷いましたが、福島正則屋敷跡を選びました。

 他にも、広島城などもあるかと思うのですが、福島正則という人を知るには、その最後の地であるこの屋敷跡がいいと思います。

 関ヶ原の戦いの功で、広島藩の初代藩主として、約50万石の大大名になるのですが、武家諸法度違反などを咎められ、改易となり、晩年はこの長野県の山奥で過ごすことになります。

 現在でも、田舎の村なのですが、江戸時代初期の当時となると、信州の山奥に住むことになり、より一層の侘しさがあったのではと思います。

 福島正則という人物を感じるにあたり、やはりこの福島正則屋敷跡は欠かせないと思います。




 〒382-0800 長野県上高井郡高山村高井

まとめ

 いかがでしたでしょうか?

 福島正則は、桶屋の息子から、豊臣秀吉に仕え、大大名まで出世しました。しかし最後は、改易になり、多くを失うことになりました。

 これらの地を見て、福島正則について感じることで、ある種の人生の儚さなどが感じられるのではと思います。

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